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御祭神

息長帯姫命(神功皇后)
誉田別命 (応神天皇) 
日霊大神 (天照大御神)

ご由緒

木本宮

 『紀伊續風土記』巻之十四日前國懸兩大神宮下に「國造家古き傳に道根命大神宮を奉じ淡路國御原山に天降り葦毛ノ馬にのりて賀太より來り木ノ本に到りてしばらく斎奉り又毛見郷に遷し奉り國造大名草彦の世に今の宮地に遷し奉る時木ノ本郷御鎮座ノ地の土を運ひ來りて今の宮地に築き(中略)木ノ本山ともいふ社地に汚穢の物あれは其土を取棄て此山の土をめてきよむといふ」と記されている。
 八咫鏡と共に鋳造した日像鏡を天道根命が厳橿山にある橿の木の根本にお祀りした地として木本宮(きもとのみや)が創建された。御祭神は、現木本八幡宮の御祭神の一柱、日霊大神(天照大御神)が御祭神であった。木本宮にちなみ、この地を「木(ノ)本」と名付けた、という社傳と一致する。

芝原八幡宮

 息長帯姫命(神功皇后)は三韓遠征を終えて凱旋の途次、麛坂皇子・忍熊皇子の乱にあったため、幼い誉田別命(後の第15代応神天皇)や武内宿禰とともに水路で紀伊に至り当地(現在の権殿付近)に上陸して頓宮を造営し、暫時滞在して難を逃れた。
 時代が下り、第29代欽明天皇23(562)年、勅命によりその頓宮跡に、応神天皇らが「しばらく」滞在した故事にちなんで芝原八幡宮が創建された、と社傳に伝わっている。

木本八幡宮

 天正13(1858)年、豊臣秀吉の紀州攻めの際、木本宮・芝原八幡宮とも本殿等の社殿・古文書などはすべて焼失している。

 のち元和4(1618)年、厳橿山に社殿を造営し、木本宮と芝原八幡宮を合祀して、「木本八幡宮」と称するようになった。
 その際に再建された三間社流造、檜皮葺の本殿が現存し、氏子区域のみならず広く尊崇を集めている。