医者だまし

どんと昔のことに、紀伊村のお医者さんが、キツネにだまされて、子ギツネのカゼヒキにつれて行かれたことがあったといわな。
木ノ本村にも似たよな話があら。
ここに牛や馬の病気を診る上佐はんちゅうお医者さんが住んでたんやしょ。
木ノ本村の北山を越えたら、もう和泉の佐瀬川で、そこを越えたら西畑ちゅう在所があり、上佐はんも頼まれたらちょいちょいと往診に出かけてたんやと。
ま、それは良かったんやけど、ある日のことに使いの人が来て、佐兵衛さんとこの牛の調子が悪いよって一ぺん、見に来て欲しいちゅう言づけやった。
上佐はん、早速に承知して、そのあくる日、道具や薬箱を持って北山を越え、西畑の在所へ行ったんやと。
そして牛の容体を見てみると、腹もふくれてるし、鼻も乾いてるんやしょ。
(こら消化不良を起こしてるんやろ…)と思って、ハリを打ったり、竹の筒で下剤や胃腸の薬を流しこんでやり、しばらくの間、様子を見てるとどうやら元気を取り戻したわな。
飼い主の佐兵衛さんも、傍で心配そに見てたんやけど、牛が元気になったで大喜びや。
「先生、遠いとこおおきに。お陰さんで牛も元気になったようや。なんにもないけど、一ぱいやっていきよし…」
と酒をすすめてくれた。
上佐はんも根が好きやよって、たっぷりとご馳走になり、お土産に「板くずし」…うん、今のカマボコやな…それを五枚ももろて、どっこいしょと腰をあげた。
「板くずし」は可愛い孫の土産に…としっかり持って猿坂峠ちゅうところにさしかかった。
その頂上あたりまで来た時、赤いべべを着た十五、六の可愛い娘さんが、木ノ本の方から登ってくるのに出会うたんや。
あたりはすっかり暗くなってたんやけど、娘さんの姿だけは、はっきり見えたな。
そしたらその娘さん、いきなりドンとぶつかってきたんで、お酒をのんでヨロヨロしながら歩いてた上佐はんは、ひとたまりもなくドシーンとひっくりかえってしもた。
「ヤレヤレ、乱暴な娘さんもいるもんやな…」
と起き上がったら、手のもってた五枚の「板くずし」はもう一枚もなかった。
これもキツネにやられたんやしょ。
荊木淳己著「日本の民話 紀の国篇」より
