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莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣吾瀬子之射立為兼五可新何本

万葉集 巻1- 9
記念歌碑

万葉集 巻1- 9
記念歌碑

 この歌は斉明四年(658年)、斉明天皇の紀の国湯(白浜温泉)への行幸の際に、額田王(ぬかたのおおきみ)が作った歌で、万葉集に登場する紀伊国の最初の歌でもある。
 四千五百余首を数える万葉集中、この歌ほど議論を巻き起こしたものはなく、万葉集きっての難訓歌と言われている。その理由は前半部分の十二文字にあり、千年このかた読み解かれていないのである。このような事情でいまだにその部分は、読み下し文で書かれることはなく白文通りの文字が並べられ、後半だけは「異訓あり」とされながらも「我が背子がい立たせりけむ巌橿が本」と読み下されている。

 古来、大勢の学者がこの解読に挑戦し、
「夕月の仰ぎて問ひし」(仙覚)
「夕月し覆ひなせそ雲」(契沖)
「紀の国の山越えてゆけ」(賀茂真淵)
「竈山の霜消えてゆけ」(加藤千蔭)
「香久山の国見さやけき」(荒木田久老)
「三諸の山見つつゆけ」(鹿持雅澄)
「静まりし浦波さわく」(澤瀉久孝)
など、四十種以上の訓みが試みられているが、いまだに定まったものはない。
 そのうちの一人、藤村由加はこの歌が詠まれた「神聖な橿の木の下=いつかしの木の本」と解釈し、その歴史の舞台を木本八幡宮のある和歌山市木ノ本と想定した。この内容が平成三年四月にNHK・BS放送の「歴史街道」で日本全国に放映され、歌碑はこれを記念して平成四年九月に拝殿前に建立された。

  佐々木政一著「紀伊国万葉歌碑散歩」より